昭和生まれシニアデザイナーのデザイン事務所
よろずデザイン処 佐々木商店
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【デザイン】学級新聞コンクール

中学から剣道をしていたことはこちらでも話しましたが、剣道部のみならず新聞委員会にも所属していました。在学中に校名が「第一中学校」から「南中学校」に変更になり、それに伴ってか、文化祭学級新聞コンクールが開催されました(画像①/右下は拡大図)。いわゆる模造紙と呼ばれる四六版の紙に手書きの壁新聞です。クラス対抗でしたが、同じクラスに新聞委員会会長のW君がいたので、彼が全部の記事を執筆して、私(店長)がレタリングデザイン、レイアウトを担当して形にするという分担でした。

このW君というのが、頭が切れる上に、えらく新聞に詳しく、各段を区切る横罫は貫いてはダメで、見出しを二段ヌキか三段ヌキにして必ず記事をずらしてレイアウトすること、ということまで知っていました。私は、当時取っていた地元新聞の明朝体を極力真似て、見出しと本文をすべて手書きで書き上げましたが、これが後に美大のレタリング研修で結構役になった気がします。

画像①の拡大図の新聞部分を、さらにゆがみを修整したのが画像②です。この「渓流」という新聞の本文は読めませんが、見出しだけはかろうじて読めます。校名変更で新たな歴史を作っていく気概が満ちあふれていますが、そのトップ見出しが「一中、それは過去の代名詞か」というのは、あらゆる物事を客観的、俯瞰的に見ていたW君の嚆矢というべきタイトルでしょう。しかも記事の最後の高校受験に関する見出しが「受験、この閉ざされた壁」ですよ?もう一度記事のすべてを読んでみたい、と今、切実に思いますね。

写真もイラストもない、ひたすら読ませる記事と文字でリアリズムを追求したこの壁新聞は、コンクールで断トツトップで金賞を受賞しました。当然だ、という表情の淡々としたW君の顔がいまだに忘れられません。

【追記】

この逸話を投稿してから1週間後に、当時の同級生に話したところ、自分もこの編集作業にかかわっていて毎日帰宅が遅かったので親にとても怒られたということを聞きました。まるでW君と自分の2人だけで作り上げたことを言っていますが、実は当時の仲間全員の合作、だったんです。記憶なんてホントいい加減ですね。ごめんなさい、M君、そして当時一緒に頑張ってくれた皆さま、ありがとうございました。お陰さまで金賞取れました。

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